BCP 事業継続計画 [あの時何が起きたか?教訓をBCPに活かす!]

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1995年1月17日午前5時46分 あなたはどこで何をしていましたか?
午前7時6分の日出までにはまだまだ時間があり、夜の闇が街を覆っていました。多くの人は、まどろみの中、今だ布団の中で過ごしていたはずです。当時の私はサラリーマンで、今日もいつもと同じ一日が始まると疑いもしませんでした。。。

私が長い間暮らしてきた神戸は、温暖で海山に囲まれ過ごしやすい街です。過去災害の記憶と言えば六甲山のがけ崩れや神戸港での高潮による浸水がありましたが、災害への意識は低いと言わざるを得ないレベルでした。

■その日”ド-ン”と言う爆発音の次に、寝ていた体が上につき上げられました。続いて左右に振られ、鉄骨の建物がガタガタと音を立てながら大きく揺れるのが分かりました。立ち上がれずに揺れが鎮まるまで何もできません。この時、震源地は大阪だと思っていましたが、地元神戸の長田・兵庫だったのです。幸いなことに自宅では電気が早く復旧したのでテレビでの情報取集はできました。しかし食料・飲料の備蓄はなく、生まれたばかり5か月の赤ちゃんを抱え途方にくれた朝を迎えました。幸いなことに自宅の損傷は免れましたので”在宅避難”を選ぶこととしました。

本震後も余震が頻発し落ちつかない中で、コンビニに行きましたが在庫はすでに売れ切れ。ガソリンスタンドも車で一杯。皆、考えることは同じなようです。これ以上の無計画な行動は自己の首を絞めるだけと思い、取って返して自宅へと戻りました。やがて道も車の大渋滞で何時間経っても1mも動かない状況となりました。夜になると長田界隈の大火災が夜の街を赤く照らしているのが自宅から見えました。なす術もなく在宅避難が続いた3日後の20日午前の真夜中、当時の勤め先の上司から突然の安否確認電話!会社も当時はたいへんな事態で、今のような"BCP"への準備もなく、社員・取引先・関係会社との(今で言うところの)サプライチェーンの確認で、出社できる社員は分担しバイクなどで回ったそうです。

さて、大震災から数日後、比較的被害の少ない裏六甲を走る神戸電鉄が動いていると言う情報を入手しました。海エリアのJR/阪急・阪神は目途が立っておらず、最寄りの神戸電鉄の駅から一気に神戸電鉄三田駅へと全員で移動。その後電車を乗り継ぎ大阪の実家に身を寄せることができました。避難できたのはいくつもの幸運が重なった結果でした。

反省と10の教訓[こうして見ると BCP にも活かせることが多いですね]
❶まさか自分の身に起きるとは思ってもいなかった。
無駄になっても良いぐらいの心ずもりで事前準備が真に役立つ。
❷自宅から避難でき震災後のためにも代わりの生活基盤を持つことは重要。
❸電気が使えるかどうかは影響が大きい。最悪を想定した対策は必要。
❹例えば食物は我慢できても排泄を我慢するのは困難優先順位の見極め。
やはり防災グッズや備蓄は準備しておけばよかったのにしてこなかった。
避難するにしても留まるにしても正しい情報の入手は大切。
家族に不安な顔を見せない。リーダーは強く安心感のある顔をする。
しばらくの間ATMは稼働しない。ある程度の手持ち現金は持つべし。
”想定外”と言われるできごとは、文字通り全てが”想定外”で誰もが未経験。正解はありそうでない
勤務先が災害対策本部を早急に立上げ社員や取引先をサポートし、会社としても震災の影響を最小限にとどめることができた。また社員も安心して勤務し、取引先からの評価も上がった。事前準備から復旧にかけて”いざっ”と言う対応力が試されることを知った。

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